先日ある年配の人から、「今のたばこは昔とは違う」という話を聞いた。
その人も私もアメスピを常呑していて、俺らはなぜアメスピを吸うのか的な話していたときにそんな話になったのだ。
私はまだ20代の若造なので、昔のたばこがどんなものなのかよく知らないのだが、その人が言うには、昔のたばこは、吸いさしを放っておくと勝手に火が消えて、フィルターの根元まで燃え尽きることはなかったらしい。
日本では長い間たばこの製造が寡占状態にあり、その製造過程もブラックボックス化されているので、たばこに助燃材などの添加物が添加され始めたのがいつ頃なのかということについて詳しく知ることは難しいが、その人の記憶によれば、昔のたばこは今ほど容易に燃えはしなかったというのは確かなようだ。
どうやら、昔と今とでは助燃材の有無やその量、種類などが異なっているらしい。
私がアメスピを吸うのは、昨年アメリカにいたときに手巻きたばこの中でそれが一番手に入りやすい銘柄だったことと、やはり「無添加」という文句に惹かれているからというところが大きい。というのも、私はたばこが危険なのではなく、最近の“添加物まみれのたばこ”が危険なのではないかと勘繰っているからだ。
私がそう思うのには二つの理由がある。
まず、第一の理由は、喫煙の歴史が、明確な記録に残っているものでは7世紀、またある説によれば紀元前5000年という太古の時代から続いているということだ。どちらの説をとるにせよ、人間は最低でも1000年以上はたばこを吸ってきたことになるが、たばこが危険ならば、それほど長くの間たばこが消費され続けたことが疑問なのである。
たばこの歴史の大部分を担ってきたのは、アメリカ大陸のマヤ人やネイティブアメリカンたちであるが、彼らの社会には優れた医療も、心地よい住環境もなければ、今のような豊富な食料もなく、マヤ人に至っては部族間の争いが多発していて、人間にとって住みやすい環境だったとはとても言えない。ただでさえそんな環境なのに、たばこが現在盛んに喧伝されているように“危険なもの”であったなら、そんな危険な淘汰要因を一つ余計に内包した社会は自ら崩壊していったはずだと思うのだ。
ところが、たばこの文化はスペイン人がアメリカ大陸を発見したときにも存在していた。たばこは、いうなれば自然選択を生き残った文化なのだ。千年以上の淘汰の歴史を生き残ったたばこが危険であるというのは、歴史が提示しているエビデンスを否定することと同義だ。純粋なたばこは、少なくとも、未開の地の劣悪な環境にいる人々を絶滅させないほどには“危険ではない”といえるのだ。
そして第二の理由は、「たばこの消費量は減っているのに、肺がんでの死者数は増加している」という統計の謎が、「肺がんは純粋なたばこではなく、たばこに添加される種々の化学物質が原因である」という仮説を当てはめればすっきりと解決するということだ。
その統計は、禁煙の流れに異を唱えている武田邦彦教授がよく引用しているので知っている人も多いと思うが、日本では、喫煙率は年々減っている一方、肺がんによる死者数は右肩上がりに増えているのである。
この統計の謎を説明するものとして、たばこと発がん性の因果関係にはタイムラグがある説とか、大気汚染原因説がよく使われるが、私はたばこの添加物こそが真の要因ではないかと思っている。
統計によれば、たばこの消費量が年々減っているのは紛れもない事実である。そうなれば、たばこ会社はどうにかして利益を維持しようとするはずだ。そこで考えうる方策として最も合理的なものは、「既存の喫煙者に禁煙させない」「喫煙者のたばこの消費量を増やす」「コストカット」の三つである。
添加物は、この三つを達成するのに最も適した手段である。
JTや他のたばこ会社は否定しているようだが、ニューヨーク州が公式の見解で主張しているように、たばこの添加物の中には中毒性を高める物質があると言われているし、助燃材を加えればたばこの消費サイクルは速くなる。そして混ぜ物をすることでたばこの原料の削減もできる。
もしもこれらの添加物やその添加物の燃焼後の物質の中に発がん性を持ったものがあるならば、それこそがあの統計の謎を解く鍵になるはずだ。
というのも、たばこ会社が添加物を加える際には、人々が気づかないように徐々にその量を増やしていくはずであり、そうなれば、肺がんの死者数がじりじりと上昇していくのにも納得がいくからだ。
多くの医者は経験的に、「たばこ→肺がん」という因果関係を実感していると言われているが、この仮説に基づけば、それは間違っていない。
ただし、正確には「添加物入りたばこ→肺がん」なのだと思う。
とまあ、推測だけでずいぶん長く書いてきたが、添加物に関しての話は、私が考えた単なる仮説だから、何の説得力はないし、そんな見方もあるのかという感じで適当に扱ってもらって構わない。
ただ、添加物フリーの国産たばこを吸いたいと思った人がいても、JTの独占という制度のせいでそれがかなわない現状については少し考えてほしいと思う。そうしたニーズをアメスピなどの外国産たばこでしか満たせない現状の仕組みは、いち早く改正すべきものだろうと私は思う。
タバコの種子のソクラテスの煙草
素晴らしい記事です。
私は昔アメスピは害が少ないと勘違いしてましたが、改めて添加物について学んでからは、出来るだけ無添加吸うようにしました。
アメスピに、「無添加という表示は、他製品に比べ害が少ない事を意味するものではありません」という感じの事が書いてありますが、実際これ嘘なんですね。政府に強制されて書いてるだけなんでしょうけど、ミスリーディングなんでやめてほしい・・
サイケ人さまへ
「無添加=害が少ないわけじゃない」というのは、おそらく意図的なミスリーディングでしょうね。
アメリカでは、公的機関が公の見解として、「添加物の中には、中毒性を高めるものがある」とリリースしてるところもあります。その見解に基づけば「添加物がない=害が少ない」というのは間違いではないですからね。
完全に主観ですが、以前と比べて市販既製品タバコのニオイがキツくなってる気がします。
添加物増えてんじゃ?と思ってたところでした。
無添加のキセルや手巻きやり始めたせいもあるかもしれませんが。
私はタイに住んでるのですが、ここ数年は手巻きたばこを吸ってます。移住当時から現在までで市販たばこの値段が3倍に上がったせいもありますが、こちらの友人や年寄りから「昔はたばこでガンになるとか、そんな話は無かった」と何度か聞いたのがきっかけです。工場生産の物との違いが気になったもので、たばこの添加物で検索してこちらを拝見しましたが、納得できるお話だと思います。こちらでは手巻きたばこを吸う人が多くて、たばこ農家も各地にあるので各地方、各県の銘柄が有ってすごく安いのでいろいろ試して、今は一つの銘柄に落ち着いてます。紙やフィルターはヨーロッパ産の物に頼ってるので、葉よりずっと高いんですけどね。
たいだ様へ
タイにお住まいで、タイには地たばこのようなものがたくさんあるとのこと、羨ましい限りです。
タイのたばこは、最悪なパッケージデザインの規制?などの話をよく聞きますから、たばこ=悪みたいな流れが構築済みなのかと思っていました。
でも「昔はたばこでガンとかなかった」おっしゃる地元のお年寄りもいるのですね。
正直なところ、私はまだたばこが健康にとって悪なのかという観点に関して、結論を留保しています。
が、人々は各々の判断で好きなように好きなことを出来るべきだと思っておりまして、
たばこを吸うか吸わないかの判断は世の中が決めることではなく、各々の決断にゆだねるべきだと思うのです。
ですから、行政によるパッケージ規制が厳しいタイでも、その友人やお年寄りのように
「昔はそんな話はなかった、だから俺は昔ながらの地元のたばこを吸う」
という判断は尊敬できますし、その選択ができるタイの気風はすごくいいと思います。
日本では残念ながら、そもそも「地たばこ」が生産、販売できない制度がありますので、非常に残念に思います。
ソクラテスの煙草の活動は、たばこの製造がJTのみに許されているという日本の悪しき制度を改変させることを最終的な理想に据えています。
いつの日か、日本のさまざまな地方で、さまざまな農家、事業者、そしてできれば一人一人の個人が製造したたばこを後ろめたいことなく堂々と味わえる日が来ることを願っています。
いまのところ、「いつになることやら」という感じですけど、小さなことから始められればと思っています。
普段葉巻ですが、アメスピを買ったら日本で販売されたての時と比べて、タバコの匂いが無くなり、開けた瞬間に薬品の臭いしかしてきませんでした。
吸ったら水みたいに薄いし、放置したら全部燃えるしで、1本だけ吸ってあとは、全部他人にあげるしかなかったです。
2017年から日本で普通に買えるアメリカンスピリットはJT工場品になったようですよ。
いろいろ想像させられますね