JTによるたばこの独占の目的が税の徴収のためだと思っている人は結構多い。
だが、自作の禁止はともかく、新規参入の規制については、税とは全く関係がない。
それは、たばこと同じく重要な徴税手段である酒税の現状を見ればわかる。
ご存じのとおり、日本には数えきれないほどの酒造メーカーがあるが、メーカーの数が無数にあっても、酒から税を取るという仕組みは問題なく機能している。
もちろん、酒造メーカーの数が多ければ多いほど、それに比例して税の管理をするのも大変になるのだろうが、多様なメーカーの存在によってもたらされる酒文化の豊かさは、徴税のコストをはるかにしのぐ恩恵を我々にもたらしてくれる。
全国に様々な酒造メーカーがあり、彼らが造る様々な酒があるからこそ、酒は、アルコールという、たばこと同程度の危険薬物にもかかわらず、社会の中で認められ、今のところたばこほどには排斥されずに済んでいるし、日本酒なんかは、COOL JAPANとして世界中に輸出されるまでに成長した。
たばこも本来ならそうあるべきなのだ。
歴史を見てみれば、独占が始まる前の明治時代の日本には、約5000社のたばこメーカーが存在していた。当時は、大小さまざまなメーカーが、互いに競争し、品質を高めあい、産地ごとにブランド化したりして、地方ごとに特色のあるたばこが存在していた。
それがいまやJT一社。
「たばこ事業法」という、違憲の疑い(職業選択の自由・営業の自由的な意味で)すらある法律のせいで、たばこの多様性は失われ、われわれが吸うたばこは、工業製品のように無機質で画一的でつまらないモノになってしまった。
こんな状況がこれからも続けば、たばこはますます文化としての価値を失い、ゆくゆくはただの危険なドラッグとみなされて、社会から抹殺されてしまうだろうと思う。
私は、一人の喫煙者としてそうなってもらっては困るし、何より、一人の人として、社会や制度が、独善的で浅はかで先進的()な決断によって少数者を排斥する様を見るのがつらい。
独占さえなければ、もっと多様で、もっと豊かなたばこ文化があったはずなのにと思うと、なおさら切ない。
本題に戻れば、今の独占という制度は、タバコ農家の利権のために作られた制度であり、税とは関係がないのだ。
ならば、税を理由に新規参入を規制し、たばこ文化をつまらなくするのはもうやめようではないか。
私のような外野の菜園家が、こんなブログで言ったところでどうこうなることでもないと思うが、たばこ行政の中の人たちに対して私は何度でもこう言いたい。
「JTや農家や議員たちよ、利権を失うのは怖いことかもしれないが、たばこの未来を思うなら、いち早く独占を廃止し、健全で正常なたばこ文化を再興しよう!」
と。
タバコ種子のソクラテスの煙草