人類の喫煙の記録で最も古いものは、マヤ文明、パレンケ遺跡にある、「十字架の神殿」の側壁に刻まれたもので、エル・フマドールという神がたばこを吸っている壁画だ。
マヤ文明は、「マヤ歴」からもわかるように、数字や歴を細かく記録した。そのおかげで、エル・フマドールの壁画がいつ彫られたのかというのも正確にわかっている。西暦でいえば、692年だ。人類は少なくとも7世紀までには喫煙という文化を発達させていたのだ。
この記事で書いた通り、タバコという植物は南米中央部で人工的に作られた“種”である。
だとすると、ここで一つの疑問が湧いてくる。
南米中央部で生まれたタバコが、直線距離で5000キロも離れたメキシコ南部のパレンケ遺跡に到達するには、少なくとも数百年、長ければ数千年の時間が掛かったたはずなのに、その間の記録はないのか?と。
実はそういう記録も、あるにはある。たとえば、グアテマラのペテン州北部から出土した陶製容器には、パレンケの壁画と同じような“たばこを吸う神”が描かれており、考古学的な見地から、その容器は3~4世紀のものだと推定されている。ただ、その容器には歴が記録されていないのだ。
まあ、歴の有無を無視すれば、メキシコと南米の間にあるグアテマラで、パレンケ遺跡より300年ほど前の記録が見つかったのは妥当といえば妥当である。
だが、タバコの起源地とパレンケの間には、普通に考えればもっと多くの遺物(たとえばパイプなど)があってもいいのではないだろうか?
その疑問を解く鍵となるのが、噛みたばこという形態のタバコの利用方法と、スペイン人による焚書である。
タバコの最初の利用形態は“噛みたばこ”か?
南米には昔から、タバコに限らず、薬用植物の葉を“噛む”文化がある。たとえばボリビアでは、現在でもコカの葉を噛む文化が残っている。
おそらく喫煙という形態が発明されるまで、ヒトは、“噛む”という方法でタバコを利用していたのだろう。噛みたばことして南米を脱出し中米に到達したタバコは、マヤの人々によって喫煙という形態で利用され始めた、と考えることは全然おかしくない。
鬼畜スペイン人による焚書
マヤ文明には、「コデックス」と呼ばれる、植物の繊維や動物の皮で作られた紙のようなものがあり、そこには、神々の記録や歴などが刻まれていた。しかし、入植したスペイン人たちによってほとんどのコデックスは焼き払われ、現存するものはたった4冊しかない。当時のスペイン人たちがいかにマヤの文化を軽視していたかがわかる、酷い例である。
もしも焚書が行われなければ、喫煙の起源についてもっと古く、もっと正確なものが残ってた可能性も十分にある。まったく人間ってやつは、いつの時代も愚かである。
とりあえず、7世紀説でいこう
私は、喫煙の歴史は数千年はあると思っているし、南米で生まれたニコチアナ・タバカムがメキシコのマヤ文明に到達するまでの間や、ひょっとすると南米を脱出する前からすでに、喫煙は始まっていたと思っている。噛み用に作出された植物の煙が、これほどまでに喫煙に適しているのは奇跡としか言いようがないからだ。
しかしながら、今のところ、公式な記録ではパレンケ遺跡のものが一番古いとされているから、当ブログとしては、喫煙の最古の記録は7世紀であるとして扱うこととする。
いずれにしても、人類は1000年以上“喫煙”という形でタバコを利用してきた。
この長い歴史が現代で途絶えてしまうのか否かは、われわれ愛煙家にかかっている。われわれは、たとえば分煙をしっかりするとか、吸殻をポイ捨てをしないとか、そういう小さなところからタバコのイメージを好いものに変えていかなければならない。喫煙者の心がけ次第でタバコは絶滅の危機を脱することができるはずだ。
※今回の記事は、『タバコの歴史』大修館書店 を参考にしています。
タバコ種子のソクラテスの煙草
シガレットで手軽に吸えるようなのは絶滅しても、パイプや葉巻は無くならないと思います。
そうかもしれませんね。
ただ、日本の伝統的なパイプである煙管は、もう結構絶滅しかけてますよ。
煙管用の刻みたばこの原料である日本在来の品種が、昨年度を最後に全く栽培されなくなったっぽいですから。