JTによる製造独占は葉タバコ農家保護政策だ

日本では、JT以外の者がたばこを製造することはできないわけだが、この資本主義自由経済の現代において、なぜこのようなおかしな状況が黙認されているのだろうか?そもそも、この独占状態で利益を得ている主体は誰なのか?

端的に言えば、今の制度を作り上げ、そこから利益をむさぼっている主体は国内のタバコ農家たちである。

JTも独占の恩恵を享受したか?といえば、そういえないこともないが、経営の多角化、グローバル化が進む中で、独占はもはやあまり旨味のない制度になりつつある。(関連記事 JTが農家保護コストを払えなくなる日は近い?

専売制廃止時に、政治に介入した農家たち

1984年度まで、日本ではたばこの専売制が敷かれていた。昔は喫煙率も高く、かつ供給も今のように安定していなかったので、国の事業としてたばこを独占する専売制は、庶民にとってもある程度合理的な制度だった。

だが、20世紀も終盤になると、グローバルな競争も始まり、専売公社というある意味ヌルい体系では国際競争に敗れるという理由で専売公社民営化の議論が始まったのである。

民営化の議論が巻き起こった背景には、当然のことながら海外政府の圧力というのも相当あった。膨らみ続ける貿易赤字に苦しんでいたアメリカは、貿易協定を盾に、日本の国内に外資系メーカーが工場を建設出来るようにするか、外国産たばこの関税をゼロにするかの二者択一を迫ったのだ。

しかし、これに猛反発したのが国内のタバコ農家たちである。専売公社が廃止され、日本国内に複数のたばこメーカーが誕生すれば、当然、メーカー同士での競争は激烈となる。そうなれば、わざわざ割高な国内産葉タバコを原料として選択するメーカーは減り、農家の食い扶持がなくなるからである。

そこで当時の日本政府は、外国の圧力とタバコ農家保護の折衷案として、外国産たばこ製品の関税をゼロにする一方、民営化後のJTに製造独占権を与えるかわりに国内産葉タバコの全量買い取りを義務付ける制度を作り上げた。

現在の制度、つまり、「日本国内でたばこを作れるのはJTだけであり、JTの筆頭株主は政府でなければならない(現在、JT株の約33%は政府が保有)」という事実上の専売制度は、タバコ農家のわがままを呑む形で作られたのである。この制度のおかげで、日本のタバコ農家は現在でも国際価格の3倍もの値段(平成22年 政府の資料による)でJTに原料タバコを卸している。

これは、資本主義・自由主義の現代において、一刻も早く廃止すべき制度だ。なぜなら、この制度によって割を食うのは我々一般の喫煙者だからだ。

専売公社が民営化してJTになっても、一社による独占が続いているのなら、そこに競争は生まれない。競争がなければ、消費者は価格競争や技術革新の恩恵にあずかることができない。我々はずっと一社のメーカーの言い値でたばこを買い続けなければならなくなっている。そして、その言い値の中には、海外産に比べて3倍も高い国産原料の価格も含まれている。

喫煙者は、有無を言わさず、もれなく農家保護に加担させられているのだ。

農家は、自助努力で立ち上がるべきだ

たしかに、農家の生活も大事だろう。

だが、農家たちは自分自身の力で自由市場を戦い抜き、その戦果として収入を勝ち取るべきなのだ。間違っても、市場を捻じ曲げて我々消費者に強制的に負担を押し付けるべきではない。

そもそも、独占=農家利権は、憲法(職業選択の自由)的に考えても例外中の例外であり、専売制廃止後の一時的なバッファー制度だったはずで、時代とともに徐々に緩和していくというのがJT発足時の国の方針でもあったはずだ。

専売制廃止から30年経っても何も変わってないというのは、明らかに怠けすぎだ。

筆者は間違っているだろうか?

たとえば、コメ農家の場合を見てほしい。

彼らにはもう、国によるろくな補助制度もないが、自主的に効率化、大規模化を進め、なんとか儲かる道を探っているではないか。

野菜農家に至っては、制度による補助などそもそもないではないか。

たばこだって、やりようはいくらでもあるはずだ。

大規模化を進めるのもいいし、日本の伝統に根差した在来種ブランドを作ってもいい。アメスピのように有機オーガニックに全フリする戦略だってある。

地域ごと、農家ごとに六次産業化し、自分たちでたばこ製造に携われば、付加価値はいくらでも高められるではないか!

禁煙運動の高まりによって、たばこの存在そのものが危機にある今こそ、この前近代的な独占という悪しき制度を刷新する潮時ではないだろうか?

日本の葉タバコ農家よ、「自助の精神」で再興せよっ!!

植木鉢で栽培するタバコ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です