日本でのたばこの歴史は、ヨーロッパ経由でタバコの種子が移入された時から始まった。時代的には、戦国時代の終わりから江戸時代の初めごろ、西暦でいえば大体1600年前後だ。
もっとも、誰が持ち込んだかとか、いつどこに持ち込んだか、など詳細については正確な情報が残っておらず、文献によってさまざまな説がある。
本稿では、それらの文献を少しだけ紹介しよう。
天文12年(1543)説
「草木六部耕種法」/佐藤信淵 天保3年/1832
日本に伝わりしは、天文12年にポルトガル国の人持ち来たりて、大隅国鹿児島に上たるを最初とす。
元亀・天正(1570~92)説
「薦録」/大槻玄沢 寛政8年/1796
古老相伝う、この物わが国に伝うること、元亀・天正の際にあり・・・
顧みるにこれポルトガル人伝うるところなり。
「めさまし草」/清中亭叔新 文化12年/1815
巻たばこは元亀・天正の頃より専ら用い、刻みたるもその後遠からず持ちいたると思わる・・・
近頃ある人の話に、越後出雲崎における天正17~18年ごろの検地帳を見るに、煙草屋何某という名を載せたり。さればそのころすでに越後にもまた煙草ありしとみゆ。
「大和本草」/貝原益軒 宝永6年/1709
日本にはじめてくること天正の初めなるへし、或いは曰く慶長10年初めて来る・・・
「和漢山才図絵」/寺島良案 正徳2年/1712
天正年中南蛮船初めてこの種を貢し、以て長崎の東土山に植え・・・
「麓の花」/山崎美成 文政2年/1819
タバコの中国にわたりしは天正の頃なり。しかせしより之の方世にあまねくもてはやし、いまにてはひと日いえどもかりましきものとせり・・・
天正・慶長 (1573~1615)説
「煙草考」/向井震軒 宝永5年/1708
古老に聞くが曰く、元此の種無し、天正・慶長の間、或いは元亀年中、南蛮その種を斉しきたり、初めて肥陽長崎村唐土山に植う・・・
「ベドロ・デ・ブルギーリョスの報告書」 慶長7年/1602
慶長6年ポルトガルのフランシスコ会司祭ヒュロニムス・デ・カストロ一行マニラから平戸に来航、その時たばこを膏薬として、種子とともに家康に献上・・・
「大和事始」/貝原好古 天和3年/1683
慶長10年の頃ほい始めて日本に渡る。その後諸人これを賞飲す・・・
「翁草」/神沢貞幹 安永5年/1776
初めて南蛮国よりタバコ種子を伝え、長崎桜の馬場に植え、その他山城の花山に作り・・・
「北窓鎖談」/橘南渓 1804~18
ある人の話にたばこは慶長10年南蛮国より種子を渡せり、漢土へ渡れる大抵同じ頃とぞ・・・
「本朝食鑑」/人見定大 元禄10年/1697
たばこはもと南蛮国より来たり、種を本邦に移すこと、60~70年に過ぎず・・・
説多すぎwどれだよww
安土桃山の終わり~江戸時代の初めごろは、日本が初めて統一された時代の創成期でもあるから、文献などがゴチャゴチャしているのは仕方がないことだ。
しかし、あまりにも説が多すぎるのは、日本のたばこの歴史を語るうえで不都合が多い。
なので、ここでこれらの説を統合し、最もそれらしい説を導いておこう。
まず天文12年(1543)説に関して言えば、この時代にはポルトガル本国でもタバコはまだ栽培されていないから、日本に種子が持ち込まれるにはまだまだ早すぎる。
また、元亀・天正(1570~92)説については、当時の西ヨーロッパではタバコはまだ新大陸産の珍しい薬草として広まりつつあった時代であり、日本に種子が持ち込まれるにはちょいと早すぎる、とみる研究者が多い。
いずれにしても、たばこは当時の貴重な交易品であり、その交易品を生み出す種子は、今でいうところの知的財産のようなものであったに違いない。
そう考えると、たばこは、ポルトガルやスペインによってまず葉だけが交易品としてもたらされ、その後、オランダ(スペインやポルトガルに敵対するプロテスタント国)によってそれらの国への嫌がらせのような形で種子が移入されたと考えるのが妥当で、だいたい慶長(1596~1615)後半のどこかで栽培が始まったと思われる。
はっきりとした証拠が残っていないのが残念ではあるが、これもまたタバコという植物の神秘性の一つなのかもしれない。
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