現在、与党自民党の一部で、たばこ一箱を1000円に値上げするという議論が進められているらしい。オリンピックを数年後に控え、国際基準に照らしてタバコの値段を改正しようとしているようだ。これは嫌煙家達にとっては喜ばしいことなのだろうが、喫煙者にしてみればかなりの大問題ではないだろうか?
確かに、アメリカやヨーロッパ各国のほとんどの地域で、たばこの値段は日本よりも高い。しかし、それらの国では国民の平均年収も日本より100万円以上高いということは忘れてはならない。
また、いくら値上げをすると言っても1000円はやり過ぎだろう。
筆者が昨年アメリカを訪れた際に調べたところでは、ポールモール等の安めのもので5ドル程度、マルボロやアメスピなどでも5ドル後半~7ドル程度だった。しかもこれは比較的禁煙政策が盛んなカリフォルニアでの価格である。(アメリカは州ごとにたばこの税率が異なり、ニューヨーク州などではかなり高いが、南部の州ではかなり安かったりする。)また、手巻きタバコにかかる税率はシガレットよりも割安だったりするので、消費者が自己防衛をする手段は残されている。
そして最も重要な点が、アメリカやイギリスでは、自家消費分のたばこを自分で製造することが法律で禁止されていないということだ。これは考えてみれば当然のことで、自由主義時代の現在にあって、日本のように国が「たばこを自作する」という経済的自由を国民から剥奪することは本来あってはならないはずなのだ。
現在、われわれ喫煙者は「やめるor高い金を払っても吸い続ける」という2択を迫られているが、我々はそろそろ「たばこを自作する」という第三の選択肢を主張するべきではないだろうか?
たばこを自作することが法律的に可能になれば、異常なまでの値上げに対抗することはできる。そうなれば、現在のように喫煙者が経済的に不当に虐げられる状況は解消されるはずだ。不当で非民主的な値上げに対抗して自分で造る、という手段をとれない現行の制度は、明らかに個人の自由を損害しているし、違憲である可能性すらある。
もっとも、日本の裁判所がこうした事例に対して中立な立場から違憲判決を下すことは考えづらい。それは、自分で酒を造る権利を争った「どぶろく裁判」の判例から見ても明らかである。
日本の裁判所はおそらく、「現行の制度は、国民の総意の上に成り立っているのだから、現行法に違憲判決を下すのは国民の意思に背くことである」という謎のロジックで、「たばこの自作を制限している現在の法律は違憲ではない」という判決を下すだろう。
筆者個人の意見としても、どぶろく裁判の被告のように、法律を堂々と破ることによって権利を主張するやり方は現代社会では野蛮であると思っている。
ならば我々は、民主的なやり方で、つまり選挙を通して「たばこを自作する権利」を取り戻すべきではないだろうか?
ソクラテスの煙草は「タバコの栽培」という、現行法で認められた範囲の抗議行動によって「たばこを自作する権利」を我々の手に取り戻すために、人々にタバコの種子を提供している。
興味がある方は、ぜひこの活動に参加してほしい。