2年前に近所の骨董市で見つけた、500円の村田煙管

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骨董市というところには、ガラクタだけでなく、実用的なモノも結構売っている。

手ぬぐいを作るための新古品の反物とか、昔の大工道具とか。

そして古い煙管も結構安く手に入る。私の煙管は、そんな骨董市で500円で買ったやつだ。“村田”と刻印されているが、私は詳しくないので良し悪しはわからない。たぶん全然上等じゃないやつだと思う。

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今の人はほとんど紙巻しか吸わないけれど、明治時代に紙巻を吸っていたのは、役人やインテリ層といったいわゆる“洋服を着る人”だけで、“着物を着る人”、つまり庶民は、まだまだ煙管で刻みたばこを吸っていたそうだ。だから紙巻は「官員煙草」なんて呼ばれていたらしい。

いまでは逆に“着物を着る人”も“煙管を吸う人”もかなり珍しくなってしまった。これは我々日本人が、もうほとんど西洋化してしまったことの表れなのかもしれない。

でも私は、西洋化が悪いとは思わない。お上のためとか、藩のためとか、社会のためとか言って、皆が偽善者だった時代にはどう考えても戻りたくはない。それなら多少ギスギスしてもいいから、互いが自分の主張を言い会う社会の方が、風通しが良くていい。

とかいいつつも、骨董市で煙管なんて旧弊な道具を買ったり、鉋をコレクションしたりしている私は、けっこう日本的なものに惹かれる性質を持っているらしい。

これはどういうことだろうと考えると、たぶん私は、自分の中で少なくなってしまった日本的な部分を、日本的なモノを買うという簡易的な行為で満たしているのだと思う。

現在のたばこ産業の制度に異を唱えて、自家製造や新規参入を解禁せよと訴えて、タバコのシードバンクを作って種まで売っている私は、ある意味でぜんぜん日本的じゃない。まあ今のところ、法を犯すということはしてないし、これからもそのつもりはないので、殺されたり捕まったりはしないが、これは今の日本が、西洋から輸入された立憲主義の原則を一応は守っているからだ。西洋化に感謝である。もしも今が江戸時代だったら、私のような人は、五人組制度で密告されて、その後で牢に入れられるか打ち首になっていただろう。

でも、常に気を張って、西洋風に主張をし続けるのは正直疲れる。だから今日は、煙管なんか取り出してきて、それに1㎝ぐらいに切った紙巻のアメスピを差して吸っている。

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灰吹きに打ち付けてたらぼこぼこになった。。。

なんでも、今日はクリスマスだから、街は西洋化した人たちであふれかえっているらしい。そんな日に家にこもって煙管なんて咥えている自分は相当変人なのかもしれない。でも、せっかくみんなが西洋的な行事をやってくれている日なので、私はゆっくり日本的なものを楽しませてもらおうと思う。

このまま筆が赴くままに書いていたら、話が全然違う方向に行きそうなのでこの辺でやめにしよう。

まあようするに煙管はたまに吸うとなかなかいいということです。

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