「ヴェニス商人の資本論」という本を本棚からひっぱり出してきて読んだ。
二十歳ぐらいの時から、一年に一回は読んでいるお気に入りの本だ。
内容を端的に言うと、
利潤は「差異」から生まれる。
たとえば16世紀のヨーロッパの貿易商は、遠隔地(インドやペルシャや中国、ブラジルや新大陸など)から、絹、香辛料、金、銀などを輸入することで、ヨーロパと遠隔地におけるそれら物品の価値の差異を仲介し、大儲けができた。
しかし、その事業に参入する人が増えれば増えるほど、しだいに差異は縮まり、差異を仲介して儲けることは難しくなる。
儲け話を聞きつけたライバルたちが参入し、パイの奪い合いや価格競争が始まるからだ。
差異が極限まで縮まると、人々はあらたな遠隔地を求めてフロンティアを見つけ出すが、それも一時しのぎにしかならない。
利潤は差異から生まれるが、差異は利潤とともに縮小していくからだ。
つまり、絶えず利潤を得続けるためには、新たな遠隔地を絶えず見つけ出さなければならないということだ。
でも地球は有限だから、遠隔地を無限に見つけ続けることなど不可能である。
そこで人々は、地理的な遠隔地ではない遠隔地を見つけ出す。
それが「時間的な遠隔地」すなわち「未来」である。
つまり、まだ誰も作り出したことのない新技術・新商品を作り出すことで、既存のものとの間に差異を生み出し、その差異から利潤を得る、ということだ。
今風に言えばイノベーションというやつだ。
だが、イノベーションで生み出された差異もいつかは、他社による模倣や更なる技術の発展により消滅してしまう。
利潤が差異から生まれ、差異は利潤とともに死んでいくなら、資本主義社会を生きる我々は絶えずイノベーションを生み出し続けなければならない運命にあるのだ。
ならば、JTの利潤の源泉はどんな「差異」か?
JTの2017年度の国内たばこ事業の営業利益は、2158億円である。
海外たばこ事業も合わせれば約5600億にもなる。
日本企業の利益ランキングでは13位、日産自動車のすぐ下だ。
たばこという、植物の枯葉を紙で巻いただけの原始的な商材で2000億もの利益を出すのが可能なのは、いうまでもなく、JTが国内のたばこを独占しているからだ。
つまりJTは、「JTだけがたばこを作ることができる制度=たばこ事業法」が生み出す「差異」を利用し、利潤を得ているのである。
しかもこの差異は、競合他社が現れないために普通の差異より長期間利潤を生み出し続け、法律が変わらない限り縮小することがない。
ふつうの産業なら、競合他社が同じ品質でより安いものを開発し、それに伴い利潤は縮小していくはずだが、たばこは、JTのみに製造が許された商品ゆえに、価格競争が起きないのだ。
しかし、これは言い換えれば、JTの特権を広く民間に開放することで、さまざまな業者が差異を媒介し、多くの新規参入者が利潤を手にすることができる可能性がまだ残されているということだ。
何もかも一通りやりつくされた感がある現在だが、フロンティアは意外にもすぐそこにあったのだ。
確かに、制度が変わればいままでその制度によって人工的に保たれていた差異を恣にしていたJTの利潤は減少するかもしれない。
が、たとえば2000億が1000億になったとしても、残りの1000億は新規参入者たちに分配されることになるから、業界としては損は発生しない。
それどころか、資本主義のプロセスを受け入れることでたばこ業界は今までにない進化を経験することになるだろう。
まず、
今までJTの株主(約33%は日本政府)や役員たちによって独占され、死蔵されてていた利潤は、多くの新規業者に還元され、動き始める。
おそらくほとんどの場合、新規参入者が手にした利潤は、そのままたばこ分野での新たなイノベーションを起こすために再投資されることになるだろう。
なぜなら、多くの業者がひしめき合い、互いが空間的、時間的な差異を絶えず追い求める時代がやってくれば、たばこ業界は、毎年同じ製品を作り続けるだけで安定を保てるほど生ぬるい場所ではなくなるからだ。
ひとたび媒介され始めた差異は、そのまま何もしなければ、つまり絶えずイノベーションを起こさなければ、必ず消失する運命にある。
だから、
たばこで利潤を得る→その利潤をたばこ事業に再投資する→新たなたばこ製品を生み出し利潤を得る→以下ループ
そんな循環を絶えず動かし続けなければ、事業者は淘汰されることになる。
現在、JTの株主や役員たちが、消費もしくは投資により、たばこ以外の分野に流出させてしまっている金の多くがたばこ造りに還流するとなれば、日本のたばこは今よりずっと魅力的な製品であふれることになるだろう。
我々の生活を豊かにしてきた資本主義のプロセスが、いま再びたばこ業界で繰り返されることになるなら、どんなにワクワクすることだろうか。
地理的遠隔地を手に入れることで、JTも新たな利潤を手にすることができる
さて、仮にそういう時代がきたときに、JTが損をするだろうか?
一概にそうということもできない。
なぜなら、いまのJTは国内での独占権と引き換えに国内農家の保護を担わされているからだ。
独占がなくなるということは、農家保護の役目からも解放されるということだ。
国内農家の高い原材料(海外産の約3倍の価格)を切り捨て、すべてを海外産に切り替えた場合、JTは「海外産と国産の差額」という空間的な差異を媒介し、200億近い利潤を簡単に手にすることができる。
他業界ではすでに利用され尽くされたように見える空間的差異が、たばこ業界においてはほぼ手つかずのまま残っているのだ。
新規参入者がJTに追いつくまでは少なくとも数年はかかるだろうから、その間、JTは空間的な差異を媒介し続けることができる。
さらに、今の筆頭株主の政府が株を手放すから、今のように高すぎる配当利回りもも下げられるだろうし、放出分を自社株買いすれば、利潤の流出は今より少なく抑えられるだろう。
5年もあれば1000億は捻出できるかもしれない。
その1000億を原資に、まじめにたばこ商品の開発を続ければ、新規参入者との競合に敗れ没落することは当分ないはずだ。
国内農家はどうすればいいのか?
おそらく、国内たばこ製造の自由化で一番割を食うのは日本国内のたばこ農家たちだろう。
だがそれも、「いままでと同じ」を望むなら、という意味でだ。
各々の事業者が努力し、たとえば6次産業化のような道を模索することで、生き残ることはまだまだ可能なはずだ。
数百の酒蔵たちがすでにやっているように、小規模事業者がパイを分け合って共存することは必ずできる。
そもそも、今までと同じやり方で利潤を得続けるというのは、
「利潤が差異から生まれ、差異は利潤とともに死んでいく」
という原則から見ればおかしな話なのだ。
他産業が、絶えず再生を続けるつづける資本主義の荒波を必死に泳いでいる中、たばこ農家だけが特別に保護されるというのは不公平すぎるだろう。
もし今までと同じやり方を続けたいならば、自分たちの生活を極限まで自給自足に近づけ、贅沢を切り捨て、利潤が縮小する中でもやっていけるようにするしかない。
私個人としては、そういうあり方も素晴らしいとは思うが。
JTが勝手にアメスピメンソールの品質を改悪した模様。我々はそろそろ、自分たちでアメスピみたいなメーカーを作る必要があるんじゃないか?