数日前にあげた、一週間禁煙してみた結果→全然辛くないことが判明。喫煙も禁煙も、もっと気軽でいいと思う。という記事では、私にとって禁煙は辛いことではなかったという体験談を書いた。
そんな一週間の禁煙期間の後、私は、「これからの時代の新たなたばこの在り方とは何か?」ということを考えた。
世の中では、たばこはもう忌避すべき危険で不潔なドラッグとレッテル張りされつつあるし、たばこ=危険というのは、誇張抜きにしてもある程度までは正しい。
そんな時代に生き、JTの独占廃止後にたばこ造りに参入するつもりの私にとって、これからのたばこの在り方を、愛煙家の独りよがりに陥らぬよう真面目に考えることは、避けては通れない公安禅みたいなものだ。
この公安は、参入規制が撤廃されるその時まで、いや、参入解禁後もずっと、私が考え続けなければならない難題ではあるのだが、幸か不幸か、改革はまだまだ先のことのようだから、いろいろ模索する時間はある。
まあ、案ずるより産むは易しということで、これからしばらくの間、一日に吸うたばこの量を紙巻きのアメスピ一本にしてみようと思う。
一日一本のたばこを、愛しみながらゆっくり吸う。
そういうあり方なら、健康への被害も、非喫煙者を不快にする機会も減るだろうし、何より「自然の恵みとしてのたばこ」を真面目に味わうにはこれが最もいい方法に思える。
最近では、アイコスなどの電子たばこが、「有害物質を90%抑えた」とか「匂いが少ない」という触れ込みで人気になっているが、作物を育てることに喜びを見出す菜園家の私にとって、あのやり方は邪道に見えるし、自分のたばこメーカーを立ち上げるとしても、ああいう路線とは真逆の方向に行くことは明確だ。やや口悪く言えば、あれはタバコという植物への冒涜のような気がする。
タールなどの有害物質を90%抑えるなら、吸う量を90%減らせばいい。
周りの非喫煙者が匂いを気にするなら、だれもいないところで吸えばいい。一日一本ならば、わざわざ誰もいない場所に行くのも億劫ではない。
純粋なたばこを後世に残すには、たぶんもう大量消費路線ではだめだ。
一日一箱なんて吸い過ぎなのだと思う。
その代り、一日一本とは言わないまでも、せいぜい数本のたばこを、ひっそりと、内向的に、しっかりと味わいながら、ゆっくり吸う。
メーカーはそういう吸い方に応えるように、まっとうな農産品としてのたばこを少量生産する。
たばこという、厄介で、でも愛おしい嗜好品の未来が、そんな風にソフトランディング出来ればいいなと、今は思う。
※追記