知人がタイに旅行に行くというので、現地のたばこを何個か買ってくるよう頼んでおいた。
なんでも、タイ政府はたばこにめちゃめちゃ厳しく、現地で市販されているたばこのパッケージには、たばこ=毒というのを強烈に印象付けるデザインが義務付けられているらしい。
筆者は常々から機会があればそのパッケージを実際に見てみたいと思っていたのだ。
先日、知人が帰国したので、早速お目当ての土産を受け取ってみると、なるほど、噂にたがわずなかなかグロテスクな写真がたばこのパッケージの大部分を占領している。
買ってきてもらったのはマルボロのゴールド。数は三箱で、柄が違うものをわざわざ選んできてもらった。
柄は、箱の表と裏で違うものが採用されているから、全部で6種類だ。
それらすべてを写真に撮ったので、ここに載せておこう。
いかがだっただろうか?
見る人によっては目を背けたくなるぐらいグロテスクだっただろうと思う。
ちなみに、タイではこのようなデザインを義務付けるのに加えて、消費者の目の見えるところにはたばこを陳列できないなどの禁煙政策が敷かれているようだ。
また、たばこ1箱の価格は日本円にして400円ぐらいらしい。
タイの物価が日本の3分の1ぐらいだということを考えれば、この価格はかなり割高だ。我々日本人の感覚でいえば、1箱1200円ぐらいである。
タイの禁煙政策はなかなか本格的なのだ。
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正直なところ、筆者はこれにどう反応しようとも思わない。
他国の人々がどんな政策を支持するのかというのは、現地人が彼ら自身のセンスに従って決めればいいからだ。
ただ、もしもこれに便乗して、日本でもこういう制度が出来上がるとしたらそれはなかなか悲しいことだと思う。
パッケージがグロテスクになること自体はどうでもいい。
そういうことではなくて、人々を視覚的に扇動してたばこを排斥すればいいというような安易な流れが厭になるのだ。こういう手法で洗脳すれば人々が禁煙に流れる、と社会が思ってそうなところがすごく気持ち悪い。
ジョージ・オーウェルの小説「1984年」では、スクリーンに映し出された仮の敵国に向けて憎しみをぶつけるTwo Minutes Hate という仮想の集会行事が書かれているが、あれを読んだ時のような嫌悪感が湧いてくる。
言わずもがなだが、たばこを吸う人の体がすべてあのパッケージみたいになることはない。ああなるのはむしろ超少数派だろう。
それを「たばこを吸うとこうなります」みたいに宣伝するのはあきらかに印象操作のやり過ぎだ。
その印象操作に引っかかる人々は、Two Minutes Hate でわめき叫んでいる人々と変わらない。
世の中がそういう安易な扇動と、扇動に安易に引っかかる人であふれてしまうとしたら、それはすごく恐ろしいことだ。