花咲か爺さんは、少なくとも花と灰の関係においては実話だと思う

うちの庭には、3mぐらいの大きな椿がある。温かくなってきてその椿が咲き始めた。

今咲いているのは、まだ全部で5個ぐらいなのだが、つぼみの感じからすると、今年はうんざりするほどたくさんの花が咲きそうだ。この椿がこんなに多くのつぼみをつけたのは今年が初めてだと思う。

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なぜ今年はこんなに多くのつぼみがついているのか?と考えてみると、思い当たる節がある。

この椿の周りは、去年から七輪や練炭コンロから出る灰の捨て場にしていたのだ。

前に書いた通り、うちの炊事用燃料は薪である。

一日分の薪の量は重さにすれば12㎏だから、灰に換算すれば大匙2杯分ぐらいなのだけれど、塵も積もればで、一年の間に結構多くの灰が出ていたはずだ。その灰の半分以上は、篩にかけて取っておき、後で畑にまいていたが、篩にかけるのが面倒な時はそのまま椿の周りにばらまいていたのだ。別に花を咲かせようとかそういう意図はなくて、ただ一番捨てやすいところがその場所だったからそこに捨てていた。

その灰に含まれるカリウムやリンやその他のミネラルが椿に活力を与え、今年は多くのつぼみをつけたのだと思う。

近所の老人の話によると、ここら一帯の土地は、数十年前は桑畑だったそうだ。もともと山間部の貧栄養な土地なうえ、桑の葉の持ち出しにより養分の収奪が起きていたとすれば、うちの庭は味のなくなったガムみたいなもんだったのかもしれない。そんな貧弱な土地に、灰という養分の塊を投入すれば、いつもはあまり咲かない椿が咲き始めるのは当然のことだ。

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ところで、花咲か爺さんといえば、子供の頃にだれでも一度は読んだり聞いたりしたことがある、江戸時代初期の寓話である。

私の記憶からは、「爺さんが灰をまいて花を咲かせた」というところ以外のほとんどが抜け落ちていたのだが、灰と椿の花のことを考えているときに、そういえばあれどんな話だったっけ?と思ってネットで探して見返してみたら、なるほどあれは「灰と花」の話じゃなくて、むしろ勧善懲悪の話だったんだと再認識した。

勧善懲悪の話を素直にいい話だなぁと受け取れるほど、今の私は純粋じゃないから、むしろ「灰と花」の話のまま記憶にとどめておきたかった。

たとえば、爺さんの裏山や臼から、何の裏付けもなく小判が出てきても、生産力の低かった江戸時代の社会では悪いインフレ要因にしかならなかったと思う。そう考えればあの爺さんはだいぶ迷惑な存在だ。小判じゃなくてコメや反物が出てくればよかったのに。と、捻くれた考えがすぐに浮かんでくる(笑)

まあそれはともかく、あの話は少なくとも灰と花の関係においては、寓話ではなく実話だろう。より正確に言えば、江戸時代初期の人々は灰と花の普遍的な因果関係を認めていたに違いない。

もちろん、当時の人々が「灰のカリウムが云々」というレベルで物事を理解していたわけはない。むしろ、寓話的な感性で、「灰をまけば花が咲く」という現象を認識していたのだと思う。

現代人は、科学を通して物事を見る。だから我々は、「灰のミネラルが花を咲かせる」と考える。

一方、江戸時代の人たちは、経験則と、それが昇華してできた寓話や言い伝えを通して物事を見た。彼らはきっと「灰は不思議な力によって花を咲かせる」と考えたのだろう。花咲か爺さんにおける灰と花の関係は、だからこそあんなに想像力豊かな物語に脚色されえたのだろうと思う。

現代人は、科学的でないものを、旧弊とかスピリチュアルとか何とか言ってバカにしがちだけど、そんなスピリチュアルな感性で物事を考えていた江戸時代の方が、今よりよっぽど持続的な社会だったことは皮肉である。

追記

一か月経ち、満開になりました。

めっちゃ咲いてるww

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