ビニールハウスがなかった時代、人々はどうやってタバコの育苗をしていたか?

ソクラテスの煙草では、タバコを本植えする前にまず、ある程度の大きさまで育苗することを推奨している。育苗はビニールハウスや温室があればそこでやってもいいし、大体の菜園家はそんなたいそうなものは持っていないだろうから、日の当たる窓際のスペースでも十分だ。とにかく、霜が当たらない場所と、日光と、10~20℃ぐらいの温度を確保できれば問題ない。

上記の条件は、ビニールやガラスや燃料が安価になった現代では簡単に手に入る。だが、つい50年ぐらい前までは、少なくとも農産物で採算をとろうとする農民がそんな環境を得ることは不可能だった。では彼らが育苗をせずに直接畑に種を蒔いていたかといえばそうではなく、まだ霜の降りる早春に育苗をしていた。

1950年に、日本専売公社中央研究所長がたばこの造り方や栽培について著した「煙草工業」という本には、まだビニールハウスが無かった時代に、人々がどうやって育苗をしていたかが記されている。同書の育苗に関する貢には次のような記述がある。

苗床内部の床の底面に杉の枯葉を縦に並列して、モグラ、ネズミの侵入を防ぎ、その上に干し草または落葉をいれ、適当に散水して湿度をあたえ、中央部を高めに盛りかまぼこ型として踏み込む(落葉は一坪当たり35貫=約130㎏)。さらに新鮮厩肥をおよそ三寸の厚さで踏み込んで表面を平らにし、厩肥の見える程度に稲わらを薄く敷き並べ、その上に床土および肥土を均一に盛り、播種一週間前に苗床の設置を終える。

この説明の中で最も重要なのは、一坪当たり130㎏もの落ち葉の上に、約10㎝の新鮮厩肥を積んで踏み込むというところだ。この大量の有機物が発酵するときに出る熱のおかげで、彼らはまだ霜の降りる早春から育苗を始めることが出来たのだ。

昔は農地の中に点々と雑木林があったというが、それはただ漠然とそこにあったのではなく、こうした発酵式温床や土づくりのために必要だったからそこにあったのだ。

また、同書では、育苗の時期に関する記述もある。

鹿児島地方 1月下、中旬

関東地方   2月中旬~3月

広島地方   2月上旬~下旬

東北地方   3月中旬~4月上旬

確かに、当時の人々はまだ霜の降りるような時期から育苗を始めていたようだ。

当時の苗づくりは、発酵熱の力を借りることに加えて、夜間は霜よけの布を張ったりもしていたらしいが、基本的には外気を遮断せずに行われた。そんな過酷な環境でも育つぐらいだから、タバコは結構寒さにつよい植物だと言えるだろう。

タバコという、いわば未知の植物の育苗をされる菜園家の方々の役に立てばと思い、些細なことだがここに記録しておいた。

 

タバコの種子のソクラテスの煙草

在来種タバコの種子をお持ちの方、誰かいませんか?

「肥料食い」と呼ばれるタバコを、生ごみ肥料だけで育ててみた結果・・・

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