F1品種と固定種の違いを説明するのはとても骨の折れる作業なのでここで詳しく書くことはしない。その違いについて書いているサイトや本は多くあるので、知らない人はそちらを参考にしていただければと思う。有名どころでは野口種苗の野口勲さんという方が書いている「タネが危ない」なんかがある。今日の話は、そうした知識をすでに持っている人向けの話である。
そもそも“固定種”という言葉を知っている人にとって、現在我々が食べている野菜のほとんどがF1品種であることも既知の事実だと思う。
この状況はたばこでも何ら変わらない。むしろ、分業と寡占の究極の形をとっている現在のたばこ産業では、世界的に見ても、伝統的な固定種のタバコを原料にしたものはほぼないと言ってもいい。私が普段吸っているアメスピも、オーガニックを謳ってはいるが、おそらく遺伝子組み換えタバコか、少なくともF1品種のタバコを原料にしているはずだ。遺伝子組み換えやF1品種が悪いとは言わないが、オーガニック的思想に基づけば、これらの手法は少なからずその真意とは相いれないものでもあるから、オーガニックを売りにしているアメスピはある意味、多少なりとも欺瞞を含んだ商品だ。
これは、たばこが食品ではないため、“オーガニック”と表示することに特段厳しい規制がないことにも起因するだろう。アメリカでは、食品の場合でさえ、特定の条件を満たせば遺伝子組み換えでもオーガニック表示が可能だし、F1品種に至っては、既に普遍的な品種になっているから、わざわざ表記するまでもない。日本のたばこにも、遺伝子組み換え表示を義務付ける規制は今のところなかったはずだ。
私たちは既に、自分がいま何を吸っているのか全然分からなくなっている。
だが、私は正直なところ、自分が吸っているものがF1品種でも遺伝子組み換えでも全然かまわないと思っている。だから480円で無添加のたばこを売ってくれるアメスピにはホントに感謝している。ある程度植物に精通した人ならわかると思うが、伝統的な固定種原料を使った場合、480円では、企業はとてもじゃないがやっていけないだろうと思う。それほどにF1品種がもたらしてくれる恩恵は大きいのだ。
しかし、固定種や完全無農薬のたばこを吸いたいという需要は日本の中だけでも少なからずあると思うし、私がたばこメーカーを立ち上げるとしたら、そういう需要を満たすような商品ラインナップも作りたいと思う。もちろんそんなことはしなくとも、個人によるたばこの自家製造が可能になれば、こだわりのある人は固定種のたばこを自作するようになるだろう。とにかく、今のような製造と消費が完全に分離された状況は不気味すぎるし、その状況に何の疑問も持たない人々もかなり不健全だと思う。
話を元に戻すと、ソクラテスの煙草で取り扱っているタバコの種は、ほぼすべて固定種である。これは、私のところのような個人事業でF1品種の開発や販売などできるはずがないということが一番の理由であり、また、家庭園芸レベルで、しかもタバコのような丈夫な植物の場合は、わざわざF1品種を使う必要性があまりないからでもある。
そもそも、現状では個人が製造たばこを自作することは法的にできないし、私は密造を目的として種子を購入しようとする人には種子を提供していないので、品種の生産性は度外視していると言っていい。
だとしたら、「数千年かけて改良されてきたタバコという作物の純粋な形」としての「固定種」を取り扱った方が面白いと思うのだ。その遺伝子に刻まれた情報は、マヤ人、ネイティブアメリカン、黒人奴隷や白人農場主など、様々な人の手をつたって今の我々に受け継がれてきたものだ。そして、その品種改良の歴史は、多くの偶然や人々の努力によって形作られてきたものだ。私は、それを想像するだけでタバコという植物の神秘性をひしひしと感じる。
固定種は、少なくともF1品種よりも、そんな「物語性」を感じさせてくれる品種だ。
私はその物語性を自分の肺で味わえない現状を本気で嘆いているからこそ、こうして、自家製造解禁運動などという無謀で危険な試みをしている。
もっとも、私はF1品種にも遺伝子組み換え技術にも人間の英知のすごさを感じるような一貫性のない性格だから、自分で試験的に交配をしたF1品種なども作っているし、アメリカから持ち帰った遺伝資源の中には現代的なF1品種のF2世代なども数種入れておいた。今年の当店のラインナップには加えていないが、来年ぐらいにはそのF2個体から取れた種子を販売しようとも思っていたりもする。